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東京高等裁判所 昭和40年(う)1684号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

弁護人石島泰ほか三名の控訴趣意第一点について。

所論は、原判決は、その各判示事実を認定する証拠として証人柴義輝、同茅根隆の旧第一審および旧第二審各公判調書の供述記載の一部を信用すべきものとして採用しているが、右各供述記載は、信憑性がなく、これを除外しては、右各事実を立証するに足るものはないから同判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続上の法令違反があるという旨の主張である。

しかし、裁判所が、その自由裁量により可分な証拠の一部を措信し、他を排斥して事実認定の資料に供することは、合理性に反しないかぎり許されるものであり、また、同一調書中の供述であつても、その一部分が他の部分と不可分の一体をなすものでないときは、その一部を採つて罪証に供しても、さしつかえないものであるところ、記録を精査すると、原判決が、その第四の一の(一)ないし(四)などにおいて、所論前記柴義輝、茅根隆の両証言は、その大綱で信用せざるを得ないとした説示は、合理性に反し、経験則に違背するものとはいえない。されば、原判決には、所論のような違法はないから、論旨は理由がない。

同第二点について。(なお斎藤弁護人は、控訴趣意書第二点の記載は柴、茅根両巡査の各証言は、いずれもスパイ活動によつて知覚した事実および認識を内容とするものであつて、結局違法な手続により収集されたものというべきであるから、証拠能力がない。したがつて、右各証言によつて事実を認定することも、違法である旨の釈明をしたので、この主張に対し、判断を示す。)。

しかし、所論柴、茅根両巡査の各供述は、いずれも宣誓をしたうえ、主として被告人両名などから本件各公訴事実と同旨の暴行を加えられた事実、すなわち、それぞれ自己の実験した事実を供述したものであり、かつ、かなり詳しい反対尋問を受けていることが、記録上明らかであるから、右両巡査が所論のごときスパイ活動をしたことがあつたとしても、その一事だけで、右両巡査の各証言の証拠能力を否定すべきいわれはないものといわなければならない。それゆえ、原判決が、所論右両巡査の各証言を採用して罪となるべき事実を認定したことにつき、所論のような違法などはないから、論旨は理由がない。

同第三点について。

所論は、原判決は、旧第二審判決の事実認定(この事実認定については、検察官も上告審で争わなかつた)より被告人に不利な事実認定をした点で、憲法第三一条、第一一条、刑事訴訟法第一条、その他同法の全体の構造に反するという旨の主張である。

しかし、上告審または控訴審から破棄差戻された第一審の手続も、原則として公訴提起に引き続いて行われる第一審の手続と異つたところはない。そして、被告人千田謙蔵に対する昭和二七年七月二八日起訴状記載の公訴事実は、被告人(千田謙蔵)は、東京大学経済部四年在学中の学生であるが、福井駿平外数名と共同して、(一)、昭和二七年二月二〇日午後七時三〇分頃、東京都文京区本富士町一番地東京大学法文経二五番教室内において(なお、三五番とあるは、二五番の誤認と認める。)、東大劇団ポポロ主催の演劇を観覧中の本富士警察署員柴義輝に対し、同人の右手を押え、手拳で腹部を突き、或いは、同人の洋服内ポケツトに手を入れ、オーバーのボタンをもぎ取る等の暴行を加え、(二)、その頃前同所において、同様演劇観覧中の同署員茅根隆に対し、同人の両手を押え、洋服の内ポケツトに手を入れ、ボタン穴に紐でつけてあつた警察手帳を引つ張つて、その紐を引きちぎる等の暴行を力えたものである(罰条は、暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項)というにあるところ、旧第一審判決は、昭和二九年五月一一日右両公訴事実のうち、右柴巡査に対し、単独で一部の暴行的所為をなしたことのみを認め、その余は、すべて認めるべき証拠がないとし、しかも、右柴巡査に対する暴行的所為についても、その違法性が阻却される正当行為であるとして、結局被告人千田謙蔵に無罪の言渡をしたこと、これに対し、検察官は、右被告人千田に対する本件被告事件全部につき控訴の申立をしたところ、旧第二審判決は、昭和三一年五月八日ほぼ旧第一審と同旨の説示をして、控訴を棄却する旨の言渡をしたので、これに対し、さらに検察官は、右被告人千田に対する本件被告事件全部につき、上告の申立をなし、これにもとづき最高裁判所は、昭和三八年五月二二日その大法廷で、旧第二審判決および旧第一審判決を破棄し、本件を東京地方裁判所に差し戻す旨の判決言渡をしていることが記録上明らかである。また、被告人福井駿平に対する昭和二七年三月一〇日付起訴状記載の公訴事実は、被告人福井駿平は、東京大学経済学部二年在学中の学生であるが、昭和二七年二月二〇日午後七時四〇分頃東京都文京区本富士町一番地東京大学法文経二五番教室内において、東大劇団ポポロ主催演劇発表会を開催中同所において、外数名と共同して同演劇を観覧中の本富士警察署員茅根隆(当二三年)に対し、同人の襟首を押さえ、かつ、その面部に唾き吐きかける等の暴行を加えたものである(罰条は、暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項)というにあるところ、旧第一審判決は、昭和三三年一二月三日被告人福井駿平については、単独で、前記公訴事実中右茅根巡査に対し、唾を吐きかけたことは認められるとしたが、右千田謙蔵に対する被告事件と同趣旨の理由で、その違法性は阻却されるとして、同被告人に対し無罪の言渡をしたので、検察官は、被告人福井に対する本件被告事件につき控訴の申立をなし、旧第二審判決(東京高等裁判所第一刑事部)は、昭和三八年一一月八日右被告人福井に対する被告事件について、前記最高裁判所大法廷が示した判断と同旨の理由で、旧第一審判決を破棄し、本件を東京地方裁判所に差し戻す旨の判決言渡をしていることも、記録上明らかである。してみると、被告人千田謙蔵に対する旧第二審判決および旧第一審判決ならびに被告人福井駿平に対する旧第一審判決は、全部破棄されたのであつて、差し戻しを受けた新第一審が、右両被告事件を併合して審理するにあたつては、右両事件の起訴状に記載された各公訴事実(換言すれば、訴因)が、その審判の対象となるものであり、(その後、後記のように各訴因の変更がある。)新第一審判決は、裁判所法第四条により上級審である前記最高裁判所および東京高等裁判所の両裁判における判断に拘束されるだけである。そして、右新第一審判決が、所論のように被告人両名につき不利な事実を認定したことは、前記両被告人に対する前記各起訴状に記載された各公訴事実の範囲内のことであり、(なお、付言すると、右新第一審判決は、被告人福井につき、前記起訴状記載の公訴事実と同趣旨の事実を認定している。)前記差し戻しの言渡をした両裁判所の判断は、なんら所論の点に触れていないばかりか、本件被告人両名の審級の利益を奪うものでないことも明らかである。されば、原判決には、なんらの非違もないので、所論違憲、違法の主張は、採用できない。

同第四点について。

所論は、原判決は、第四(被告人両名および弁護人らの主張に対する判断)の(一)の1の(一)ないし(五)、第三の三の(1)などにおいて、柴巡査の目撃した学生二名の証言に関する説示において合理的な説明を加えていない点、柴、茅根両巡査の各供述に矛盾、不合理があると指摘しながら、結論的に、これらに信用性があるとした点、その罪となるべき事実第一の一の1の事実を認定する証拠として、まつたく内容の抵触する旧第一審千田事件の証人柴義輝(第三回公判調書中)、同豊川洋(第九回公判調書中)の各供述記載を掲げている点警察官の本件集会への立ち入りを、それまでの一貫して行なわれた警察のスパイ活動のあつたことを認めながら、これを切り離して認定している点、被告人らが、その場に居合わせた学生の一部の者とともに、柴、茅根両巡査に対し共同して暴行を加えたことが明らかであるとし、甚だ論理的に飛躍して認定している点、ことに被告人千田に対する原判示各事実の認定には、いずれも理由の不備、または、くいちがいがあるという旨の主張である。

しかし、記録を調査するに、原判決が、その第四の一の1の(一)ないし(五)などにおいて、説示しているところは、やや冗漫のきらいがあるけれども、挙示の証拠により柴巡査が、所論観客席で、学生両名が、「私服が入つている、吊し上げようではないか」という話をしているのを耳にし、この両名のうちの一人が被告人千田であり、柴巡査も、茅根巡査も、被告人千田に対し十分な面識を得ていたことを認めるとしたことにつき、なんら所論のごとき違法はなく、原判決が証拠に採用している所論柴、茅根両巡査の各供述記載が信用性のあるものと認められることは、前記控訴趣意第一点に対し説示したとおりである。また、原判決が、被告人千田に対する罪となるべき事実第一の一の1の事実を認定する証拠の一部として、所論証人柴義輝、同豊川洋の各供述記載を挙示しており、右各両者の供述記載のうちには抵触する部分があるけれども、後者の供述記載のうち前者の供述記載と抵触する部分は、原判決は、これを信用しなかつたものと認められ、警察官のスパイ活動があつたとしても、これを本件被告人両名の各所為と切り離して認定することも、所論のような違法はなく、(なお、付言すると、警察官が本件と同一の志向のもとに学内集会へ立ち入つたことを認めるに足る証拠資料は、記録上存しない。)被告人両名に対する原判示第一の第一の1、2、同二の各事実は、原判決挙示の証拠により所論共同をした点をも含めて、十分に肯認することができ、所論のような論理の飛躍は存しない。それゆえ、原判決には、所論のごとき違法はないから、論旨は理由がない。

同第五点について。

所論は、原判決は、旧第一、二審の各判決の否定した被告人両名らが、ほか数名の学生と共同して暴行をしたという「共同行為」を合理的な根拠と証拠がないのに認定しているのには、事実の誤認がある。なお、検察官は、新第一審公判において、訴因を変更し、「ほか数名と共同し、かつ、多衆の威力を示して」暴行をしたというのであつて、同判決が、「多衆の威力を示し」たことを否認したにもかかわらず、「共同行為」だけを認定したのは、検察官の請求した訴因の範囲からもはずれ、「共同行為」の認定についても、根拠がないことを示していたものであるという旨の主張である。

しかし、原判決の認定した被告人両名が、他の学生数名と共同して原判示各巡査に対し、逐次原判示の各暴行を加えたという共同行為は、原判決挙示の関係証拠により十分肯認することができ、これを覆するに足りる証拠資料は、記録上存しない。なお検察官は、新第一審第九回公判において、被告人千田に対する起訴状記載の公訴事実初めより二行目中「外数名と共同し」とある次に、「かつ威力を示し」を加え、被告人福井に対する起訴状記載の公訴事実初めより六行中「共同し」とある次に、「かつ威力を示し」を加える旨の各訴因の変更を申し立て、裁判長は、右各訴因変更の申立を許可する旨の決定をなしたことおよび検察官の釈明があつた後、主任弁護人も、訴因変更申立自体には、異議の申立をしない旨を述べていることが記録により認められるところ、「威力を示した」点を認めず、「共同行為」を認めていることは、所論のとおりであるが、なんら矛盾するところはなく、原判決が、被告人両名らに対し本件各訴因に限定された以外の事実を認定していないことは、その判文上明らかである。されば、原判決には、所論のような事実の誤認はないから、論旨は理由がない。

同第六点について。

所論は、原判決は、(二五番教室)後部の照明の度合を認定するにつき、採証の法則に違反し、訴訟手続の違反があるという旨の主張である。

しかし、記録を調査すれば、原判決が、その第四の一の1の(五)の(1)で説示しているところは、当裁判所においても、これを正当として是認することができ、これを左右する証拠資料は、記録上まつたく存しない。したがつて、原判決には、所論のような違法はないから、論旨は理由がない。

同第七点について。

所論は、原判決には、被告人福井に対する原判示第一の二の事実には、事実の誤認があるという旨の主張にほかならない。

しかし、所論被告人福井に対する原判示第一の二の事実は、原判決挙示の対応証拠により十分に認めることができ、記録を調査しても、原判決が、その四の一の2の(一)、(二)、(1)(2)で説示しているところには、所論のごとき誤があるものとは、とうてい認めることができない。それゆえ、原判決の右事実には、所論のような事実の誤認はないから、論旨は理由がない。

同第八点について。(なお、主任弁護人は、当審公判において、控訴趣意書第八点の四の記載を削除し、右記載を第九点の(四)として追加する旨の釈明をしたので、この点については、次の第九点の控訴趣意に含めて、判断を示す。)。

所論は、原判決は、その理由第四の二の4の(七)の(1)において、「右の(イ)、(ロ)、(ニ)、(ホ)、(ヘ)の事実の存在によれば、本件集会は、大学当局から学内集会としての許可を得たものであつても、その内容が、前記認定のような演劇と説明であり、実社会の政治的、社会的にわたる事項を含むもので、専ら学問的な研究の発表のものでない点で、本件における最高裁判所の見解の示すとおり、大学における学問の自由を享受し得ないものと言わなければならない。」と判断しているが、これは、最高裁判所判決の拘束力および大学における学問の自由の解釈を誤まり、本件集会で行なわれた内容について、重大な事実の誤認をおかし、かつ、理由のそごと理由の不備を来しているという旨の主張に帰する。

しかし原判決の判文をみると、その理由第四の二の4の(一)ないし(六)で、かなり詳しく認定事実を判示したうえ、最高裁判所の破棄判決に示された判断に従い、そのみずからの判断の結果を要約したものであつて、所論原判決が、右の(イ)、(ロ)、(ニ)(ホ)、(ヘ)の事実と示している事実のうち、(イ)は、劇団ポポロの本件演劇発表会は、学内公認団体の研究発表会として上演する意図に併わせて松川事件における被告人らの無罪を観衆に印負づけることを意図していたもので、そのことは、官憲ないし国家権力の不当な行動に対する民衆の抵抗を支持するものとして、いわゆる反植民斗為デーの趣旨上有意義なものであることを意識して行われたこと、(ロ)は、演劇内容が、松川事件に取材し、かつ、その被告人が無罪であることを志向するものであり、かつ開演に先立つてなされた徳島康史の演劇素材の説明も、それと同方向のものであること、(ニ)、開演に先き立ち徳島康史の右説明を挾んで、その前後にいわゆる渋谷事件の報告と沖繩の状況に関する報告とが、主催者の意図にかかわりなく行われたが、これに対し、主催者側から、なんら異議や制止がなされなかつたこと、(ホ)は、会場には、東京大学の学生職員以外の者で、入場券を買つて入場していたもののあつたこと、(ヘ)は、茅根、柴、里村ら警察官も、入場券を買つて入場したものであることが認められるとしたうえ、本件集会の主催者は、学内集会として企画し、大学当局より許可を受けたものであつて、観客は学生、職員を主とし、それ以外の外来者の入場も黙認はするが、一般公衆に公然と入場を促す措置までとつたものと認められない半公開的なものであり、本件警察官の入場は、入場券を求め一般外来者に紛れて、怪しまれることなく入場したという意味では、自由に入場したものであると、いうことであるから、原判決が、本件集会を、「大学における学問の自由を享受し得ないもの」としたものであつて、判断の前提事実としては意をつくしたものというべきである。ただ、「前認定のような演劇と説明である」との認定事実だけであるという所論は、原判決の判文を誤解したもので、失当であるといわなければならない。そして、記録を調査すると、所論原判示の前提事実とその要的は、挙示の証拠により十分に肯認することができ、また、右前提事実と要約との間にも、所論のごときくいちがいなどがあるものとは認められない。なお、所論は原判決は、最高裁判所判決の拘束力の解釈を誤つているというが、右最高裁判所大法廷判決(昭和三一年(あ)第二九七三号同三八年五月二二日言渡、刑集一七巻四号三七〇頁)の多数意見は、「本件の東大劇団ポポロ演劇発表会は、原審の認定するところによれば、いわゆる反植民斗争デーの一環として行なわれ、演劇の内容もいわゆる松川事件に取材し、開演に先き立つて右事件の資金カンパが行なわれ、さらに、いわゆる渋谷事件の報告もなされた。これらは、すべて実社会の政治的、社会的活動に当る行為にほかならないのであつて、本件集会は、それによつてもはや真に学問的な研究と発表のためでなくなるといわなければならない。また、ひとしく原審の認定するところによれば、右発表会の会場には、東京大学の学生および教職員以外の外来者が入場券を買つて入場していたのであつて、本件警察官も入場券を買つて自由に入場したのである。これによつて見れば、一般の公衆が、自由に入場券を買つて入場することを許されたものと判断されるのであつて、本件の集会は、決して特定の学生のみの集会とはいえず、むしろ公開の集会と見なすべきであり、すくなくとも、これに準じるものというべきである。そうして見れば、本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく、実社会の政治的、社会的活動であり、かつ、公開の集会またはこれに準じるものであつて、大学の学問の自由と自治は、これを享有しないといわなければならない。したがつて、本件の集会に警察官が立ち入つたことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない。」というにあるところ、原判決は、前記のようにその理由第四の二の4の(七)の(1)において、右最高裁判所の判示するところと、資金カンパの点を除き(なお、原判決が、この点を除外したことには、記録を調べると、多大の疑問がある。)その表示の仕方には多少異るところはあるが、右判決の見解と同趣旨であると解され、本件集会は、大学における学問の自由を享受し得ないものと判断していることが、その判文にてらし明らかである。したがつて、原判決には、右所論のような最高裁判所の拘束力などの解釈を誤つた違法はなく、所論は結局独自の見解にもとづき原判決の事実の認定を非難する主張に帰するものであるから、採用できない。

同第九点について。

所論は、原判決が、「前認定のような演劇と説明」を、「実社会の政治的、社会的活動を含むもので、専ら学問的な研究と発表のためのものではない」と判断したことは、最高裁判所の解釈を誤まり、「実社会の政治的、社会的活動」の解釈を誤ることによつて、「大学における学問の自由」の解釈を誤まり、ひいては、本件集会を、「大学における学問の自由を享受し得ない」集会であると認定することによつて、重大な事実誤認をおかしており、人事院規則一四―七についての解釈にも誤があるという旨の主張である。

しかし、前記第八点に記載した最高裁判所の多数意見は、要するに「憲法第二三条の学問の自由は、学問的研究の自由とその研究結果の発表とを含み、同条は、広くすべての国民に対してそれらの自由を保障するとともに、特に大学におけるそれらの自由および大学における教授の自由を保障することを趣旨としたものであり、学生の集会が、大学の許可したものであつても、真に学問的研究またはその結果の発表のためのものでなく、実社会の政治的、社会的活動に当る行為は―大学の有する特別の自由と自治は享有しない。」というにあるところ、右判決が掲げている前記第八点に記載した諸事のうち、重要な事実が認めることができるならば、それは、実社会の政治的、社会的活動に当る行為と解すべきものである。そして、原判決は、その理由第四の二の4の(七)の(1)において、所論(イ)、(ロ)、(ニ)、(ホ)、(ヘ)の事実を認定したうえ、その表現は、右大法廷判決のそれとやや異つているところがあるけれども、右最高裁判決判決と同趣旨の判断を示していることが、その判文上明らかである。また、原判決の、所論人事院規則一四―七は、公務員の活動について定めているもので、官公私立を問わない大学の自治と、直接には関係がない旨の判断も、正当である。それゆえ、原判決には、所論のごとき違法や事実の誤認はないから、論旨は理由がない。

同第一〇点について。

所論は、原判決が本件集会を、「大学における自由を享受し得ない」集会と判断したことは、判断の基本を誤まり、憲法第二三条、第一一条、第一二条、第一三条、第九七条の解釈を誤まり、かつ、理由の不備、審理不尽の違法があるという旨の主張である。

しかし、論旨の理由がないことは、前記各控訴趣意(ことに、第二点、第四点、第八点と第九点)に対し説示をしたとおりであり、所論は、ひつきよう原判決の認定しない事実を前提として、違憲、違法を主張するものであるから、採用できない。

同第一一点について。

所論は、原判決が、違法性阻却の判断をするに際し、刑法の理念を誤まつた違法があるという旨の主張である。

しかし、記録を調べると、原判決は、その理由第四の二の4の(七)の(3)の(イ)において、いわゆる超法規的違法阻却事由を認めるについては、個々の行為につき、その具体的な事情を検討して決定されなければならないが、その際の考慮すべき指針として「目的の正当性」とか「法益の衡量」とかが機能するものと解すべきことを示したものであつて、必ずしも右両者だけで、違法性が阻却されることを説示したものでないことは、――その判文にてらし明らかである。そして、本件につき、被告人らの行為は、いわゆる超法規的違法阻却事由に当らない旨の説示は、当裁判所においても、これを正当として是認することができる。してみると、原判決には、所論のような違法はないから、論旨は理由がない。

同第一二点について。

所論は、原審において、弁護人は、本件警察員の立入行為による被害法益として、学問の自由、集会の自由のみならず、思想、良心の自由、信教の自由、集会、結社、言論その他一切の表現の自由の侵害を主張し、かつ、本件警察官の立入行為が、警察法第一条第二項、警察官職務執行法第一条第二項、第六条に違反し、刑法第一三〇条、第一九三条に違反する違憲、違法な行為であることを主張し、その違憲、違法の警察官の職務行為の排除であるから、本件所為は、その限度において相当であり、違法性を欠く旨の主張に対し、原判決は、その判断を遺脱したという旨の主張である。(なお、主任弁護人は、当審公判において、控訴趣意書第一二点の二行目に、差戻後の第一審公判で述べたとおり、以下の思想、良心、その他の自由であると主張したのは、前述のように本件警察官らの一連のスパイ行為によつて侵害されたという意味である旨の釈明をした。)

しかし、記録を調査すると、原判決は、その理由第四において、所論の各主張全部に対しても十分判断を示しているものと認められるから、論旨は、その前提を欠き、理由がない。

弁護人鹿野琢見の控訴趣意第一点について。(なお、鹿野弁護人は、当審公判におい、同弁護人提出の控訴趣意書第二点の記載は、第一点の二に包含されているので、独立して主張はしない旨の釈明をした。)

所論は、るるいつているが、結局原判決が、「本件集会は、大学当局から学内集会としての許可を得たものであつても、その集会が、前認定のような演劇と説明であり、実社会の政治的、社会的活動にわたる事項を含むもので、専ら学問的な研究と発表のためのものでない点で、本件における最高裁判所の見解の示すとおり、大学における学問の自由を享受しえないものと言わなければならない。従つて、本件ポポロ公演の当日、判示警官の教室立入が学問の自由および大学の自治を侵害するものであることを前提とする弁護人の主張は、最早すべて採用するに由ないものとした判断には、事実の誤認があるという旨の主張に帰する。

しかし、所論原判決の理由第四の二の4の(七)の(1)の判断に、所論のごとき事実誤認のないことは、前記弁護人石島泰ほか三名の各控訴趣意、ことに、第八点に対し説示をしたとおりである。そして、論旨は、結局警察官らの本件集会への立入行為は、大学構内における長期にわたる内偵活動の一環として行われたものであるから、被告人両名の警察官らに対する本件各暴行は、正当行為であつて、違法ではないという原判決の認定しない事実関係を前提として違憲違法と事実誤認を主張するものであるから、採用できない。

同第三点について。

鹿野弁護人は、当審公判において、同弁護人提出の控訴趣意書第三点に、「法令の適用に誤がある。」とあるけれども、これは、原判決が、人事院規則の解釈を誤つたために、本件集会を政治的なものと認定した事実の誤認をしたという趣旨で、事実誤認を主張するものであるとの釈明をしたので、この主張に対し判断を示す。

しかし、論旨の理由がないことは、前記弁護人石島泰ほか三名の控訴趣意第九点の末尾で説示をしたとおりであるから、所論は採用できない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条により本件各控訴を棄却すべきものとして、主文のとおり判決する。(遠藤吉彦 吉川由己夫 裁判長判事小林健治は退官のため署名捺印することが出来ない。)

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